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2020年11月4日ニュース

ファミリービジネス関連の書籍を紹介する「J.P.通信」でEps.23 松村 圭一郎著/『うしろめたさの人類学』を投稿しました。

(FBページはこちら⇒ https://www.facebook.com/JP通信-by-FEMO-782507828813683/?modal=admin_todo_tour

霜月に入り、本格的な冬の訪れを予感させる季節になりました。今年は新型コロナウイルスの影響により、恒例行事もニューノーマルで行われる異例の事態となりました。
感染防止のための強い制限と生活環境の急速な変化に伴って、私たちの心は今まさに「スキマ」だらけです。私たちはこのスキマを、自分で何とかしなければいけないという暗黙の了解の中、先の見えない今を生きています。今回ご紹介するのは、そんな日々を送る人々のよき「道標」となるであろう1冊です。
作者で人類学者である松村圭一郎さんは、長年にわたり日本とエチオピアを往復しながらフィールドワークを行う中で、本書で述べている1つの世の中の在るべき姿にたどり着きました。理想論だと言えばそうかもしれませんが、現代社会の問題にあえて感情で向き合おうとする本書は、それ以上に良き「判断材料」として高く評価されています。皆様の新たなクライテリア設定の助けになることを願いつつ、23回目の投稿とさせていただきます。
J.P.

by FEMO(https://www.fe-mo.jp/)

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「うしろめたさの人類学」
松村 圭一郎 著
『ぼくらにできるのは「あたりまえ」の世界を成り立たせている境界線をずらし、いまある手段のあらたな組み合わせを試し、隠れたつながりに光をあてること。』
本書の後半で述べられている、筆者の結論だ。私たち日本人にとっての当たり前とは、どのようなものなのか。筆者は自身が受けた強烈な逆カルチャーショックをもとに、日本が高度に他人の労働を金で買って済ませる、いわゆる「交換」のシステムに依存していることを当たり前にしていることに、強い危機感を抱いている。
『例えば道端で物乞いの老婆を目にしたときも、私たちはこの交換のモードをもちだしてしまう。同時にそれは、たんに日本に生まれたという理由で彼らより豊かな生活をしているという「うしろめたさ」を覆い隠す。そして物乞いになにも渡さないことを正当化する。交換のモードでは、モノを受けとらないかぎり、与える理由はないのだから。心にわきあがる感情に従う必要はないのだから。商品交換のモードが共感を抑圧し、面倒な贈与と対価のない不完全な交換を回避する便法となる。ぼくらはその「きまり」に従っただけでなにも悪くない。そう自分を納得させている。』筆者は、多くの日本人がそれに慣れきっていると語る。こう切り出されると、誰しも心当たりがあるのではないだろうか。ただ、だからといって、物乞いを見かけたら施せばいいという単純な話ではない。この世の困難さの多くは、ある面では正の効果をもつ手段や行為が、同時に負の可能性をもつことにある。どこかに諸悪の根源があって、それをとり除けばすべてがうまくいく、なんてことはない。すべての問題を最終的に解決できる力や手段があるわけでもない。残念ながら、世の中はそうなっていない。その前提で、筆者はよりよい社会/世界があるとしたら、ひとことで言えば、「公平=フェア」な場なのだと答える。社会へのポジティブな思いが醸成され、その実現が支援される。ネガティブな気持ちにも、声をあげ、耳が傾けられる機会がある。多様な生き方や価値観が許され、それぞれが違った役割を担える。同時に、その差異をつなげ、共感し、調停する仕組みもつくられている。それが自分たちの目指す方向だと。
当然、これが簡単に実現できるなら苦労はしない。本書を通して筆者が伝えたいのは、世界を変える力はすでに私たちの中にあるということだ。筆者自身、これまで自分の居場所(日本)と調査地(エチオピア)とを往復するなかで生じる「ずれ」や「違和感」を手がかりにこれまで思考を進めてきた。『それは、ぼくらがあたりまえに過ごしてきた現実が、ある特殊なあり方で構築されている可能性に気づかせてくれる。自分の思いを表現し、他者の思いに共感する。これは、人類が進化によって獲得してきた卓抜した能力のひとつだ・・・人の振り見て、我が身を疑う。これが人類学のセンスだ。』と語る。彼の望みは、私たちの中の「人類学者」的一面に気づいてもらうことなのかもしれない。
筆者が私たちの中にあると信じる社会をよりよい形にするセンス。それはどのように取り戻すことが出来るのか。
『まず、知らないうちに目を背け、いろんな理由をつけて不均衡を正当化していることに自覚的になること。そして、ぼくらのなかの「うしろめたさ」を起動しやすい状態にすること。人との格差に対してわきあがる「うしろめたさ」という自責の感情は、公平さを取り戻す動きを活性化させる。そこに、ある種の倫理性が宿る。倫理性は「うしろめたさ」を介して感染していく。目を背けていた現実への認識を揺さぶられることで、心と身体に刻まれている公平さへの希求が、いろんな場所で次つぎと起動しはじめる。』
新型コロナウイルスの影響で、私たちの日常の光景はすっかり変わってしまった。見えない恐怖のつきまとうモヤモヤとした環境を生きる中で、私たちはいつしか、自分の感情を鈍らせることに慣れすぎたのかもしれない。もし、あなたが次に自分の中に「うしろめたさ」を感じる何かに出くわした時があれば、それはチャンスかもしれない。あなたにしか当てられない、光を考えてみてほしい。これは、今を生きる私たち全員の宿題だ。

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