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2019年9月5日ニュース

ファミリービジネス関連の書籍を紹介する「J.P.通信」でEps.7 ケネス・タナカ著/伊藤 真訳『アメリカ流 マインドを変える仏教入門』を投稿しました。

(FBページはこちら⇒ https://www.facebook.com/JP通信-by-FEMO-782507828813683/?modal=admin_todo_tour

皆様、いかがお過ごしでしょう。
令和元年もあと4ヶ月足らずで終わります、早いものですね。学生の皆さんの時間の感覚ですと今は2学期、気持ちを新たに僕もよい年が越せるよう頑張りたいと思います。
今回のテーマは、ズバリ!仏教です。
皆様ご存知かもしれませんが、意外にも白人の仏教徒が近年増加傾向にあります。米ロサンゼルスに存在している宗派の数が、アジアの主要な仏教宗派のほぼ全てに等しいというのですから、驚くべき事実でしょう。
その背景には、かの有名なハリウッド俳優リチャード・ギアさんのキリスト教からの改宗のニュースが取り上げられる等、ある種のトレンド的な側面もあります。しかし、当然ながらそれは主たる理由ではありません。
仏教の開祖はブッダですが、彼自身は何不自由ない家柄に生まれながら、自分の知らない貧しい環境で生きている人たちがいる現実に心を痛め、ある日出会った修行僧の生き方に自分の生きるべき道を見出しました。
彼が菩提樹の木の下でたどり着いた「悟り」の境地。現代社会で信じるべきものを見失いかけている我々ビジネスマン・ビジネスウーマンにとって、どれだけ得られるものが大きいのか。私は近年の信者の増加傾向の根底はそこだと考えています。日々のストレス社会の中でこそ、仏教で語られる生き方のヒントがその意味を強めていき、時代の移り変わりと共に様々な場面で語られるようになりました。社会的な意義ある活動を起こし、科学的見地からもその重要性を主張する専門家がいるほどです。
今回ご紹介する著書の作者であるケネス・タナカさんも、仏教を学ぶ中で多くの気づきや幸福を享受出来たと語る1人です。彼が自身のデコボコな道のりの中で見つめてきた仏教との付き合い方。その語り部として、読者の皆様の心のモヤが少しでも晴れてくれることを願い、7回目の投稿とさせていただきます。
J.P
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『アメリカ流 マインドを変える仏教入門』
ケネス・タナカ著  伊藤 真訳

「この世に生まれてきた理由も、みずからの一生を何に捧げるべきかもわからずに生きるとすれば、それほど空しいことはない。」
この言葉を読んでみて、あなたは何を思っただろう。
私は空しくなどない。そう一蹴出来る人も多いかもしれない。でも、本当に?
冒頭で引用される、仏教典の一節だ。あえて紹介したのは、この言葉が最初に目に飛び込んできた時、読者の多くが自分はどうだろうか、と自身に問いかける姿が、ありありと思い浮かぶからだ。ただ、私の方から仏教自体についてここで語るのは、ここまでとさせていただきたい。読む者に何かを問いかけるかのように進む本書は、仏教という自身の人生観を大きく変えた存在への敬意と共に、読者に仏教をより身近にあるものとして感じてほしいという筆者の情熱を感じる。この本を手に取っていただいた方には、それぞれの「悟り」へのヒントを見出してほしいという、私の語り部としての願いと取っていただければ幸いだ。
初心者にも仏教の教えを正しく理解してもらうため、ビジネス書との関連性をはじめ、過去に仏教に多大な影響を及ぼした人々のエピソード、どこにでもある一場面から学ぶことなど、本書を読み進めていくうちに、いかに私たちにとって身近なものなのかが分かってくる。
特に彼の本の中で目を引くのは、家族のネタだ。彼自身、仏教をより身近に感じることが出来た主たる理由は、家族の存在にある。
例えば、息子が自分にかけてあげようと、誰に言われるでもなくベッドから布団を引っ張ってきてくれた時、その優しさに気付いてあげられなかった自身の固定観念からの恥ずかしさ。
例えば、娘が川崎病で死にかけた時、そこにいた多くの医療スタッフたちが休憩所にいるのを見て、多くの人たちとつながっていることへの感謝の気持ちで、涙が止まらなかったエピソード。
そして、例えば経済的に苦しい時、周りで裕福な生活を送る友人たちに嫉妬し、低所得で妻と子供につらい思いをさせている後ろめたさから、自身の心を清浄に保つことを忘れていた過去から得た反省、などなど。
もうすでにお気づきかもしれないが、筆者のネタは私たちにとって、多少状況の違いはあれど共感出来る、身に覚えのありそうなエピソードばかりだ。つまり、私たちが今個々で抱えている悩みが、仏教という教えから筆者がそうしたように、私たちも同様に解消出来る可能性があると考えるべきではないだろうか。
人は誰しも、例外なく恥をかき、後悔し、時に猛省し、何かに感謝することの大切さに気付かされる人生を送り、死を迎える。それは、何歳(いくつ)になろうと変わらないし、無くならない。いつか、死を最たるものとして、それは避けられないことだと、受け入れなければならない時が来る。何故なら、それが私たちが本当に幸せになるために必要なこと。「気付き」だからだ。
ブッダといえども、最初から「悟り」モードだったわけではないのは歴史の記す通りだ。今の私たちと同じように、自分の置かれている状況に疑問を感じ、苦しんで、必死の思いで決断したつもりが、求めたものはいつまで経っても得られない。それでも、誠実にそんな自分と向き合ってきたことで、少なくとも自分の求めた答えを得られた。それを人々に説くことで、周りの人たちも幸せにすることが出来た。私たちも、同じように誠実に向き合う勇気を肯定するべきだ。それが自分にとって重大なことだと直感できたなら、尚更だ。
あなたがいつか見つけた自分の「悟り」の道が、いつか誰かの「幸せ」の道の下書きとなり、そのつながりの連鎖がより長く続くための何かになることを願い、私も自分の「悟り探し」の旅に戻りたいと思う。

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